2010-10-01から1ヶ月間の記事一覧
おそらく、 《モノの世界》 → 五感 → 心 → 「心の作用」 という図式が、《外からの視点》での表面的な観察のように見えたのではないでしょうか。 これを《内からの視点》に変換するためには、《実感》ということが重要です。 《実感》には禅定が必要です。 …
> 人間存在は不合理性のかたまりなのですね。 《自己》は《自己言及》であり、論理によって理解可能な世界には入りきらないモノである。 《自己》は認識の主体であり、認識することができないモノである。((認識されたモノは認識の客体であり、主体ではな…
人間とは「合理的なもの」を求めたがるものですし(ユダヤ教だって不条理な現状を諒解するための神学的合理化を行なったわけですし)、科学的思考とはその合理性において、まさに人間の欲求を完全に満たすものかに思えます。 ここに陥穽があります。 人間存…
>84 2010年10月11日 19:50 りょーこさん >マーヤ・・・目覚めていないリアリティという意味で。 《モノの世界》 → 五感 → 心 → 「心の作用」 この《モノの世界》のなかにヒトたちがいて、 ヒトたちは勝手に『仮想現実』(マーヤ)を作り出して信じて、行動…
>84 2010年10月11日 19:50 りょーこさん >私には、ここにすべて、一切入っているように思われますが。。。 >マーヤ・・・目覚めていないリアリティという意味で。 考え途中ですが、 >眼と眼に見えるもの、 >耳と耳に聞こえるもの、 >鼻と鼻ににおうも…
>いえいえ、オチというより危ないですよ☆戻ってこられてよかったですね(^^) ふーむ。確かに。 闇の中で恐怖に捕らわれ、幻に捕らわれていたら危なかったかもしれませんね。 現実感覚に戻っても幻が消えなかったとしたら・・・。ぎょへ。 しかし、 たけ(tk)…
>たけ(tk)さん 面白いお話、ありがとうございます。いろいろ実験されているんですね。 身体内部が身体外部に戻ってくる感覚が興味深いです。 メビウスの輪なんか想起します。 >最終的には平凡な日常感覚に戻ってしまう、というオチでした。 いえいえ、オ…
>78 2010年10月11日 00:24 りょーこ さん >ん〜私の感知する「虚無」は、絶望すらに見放された底なしの混沌といったものです。もし底があるならば、もう反転して<光>になるしかないといった。やはり瞑想(観照)でなければ「一切皆苦」はなくならない気…
>これらのモノは、ブッダの「一切」の中のどこに入っているのだろうか? 眼と眼に見えるもの、 耳と耳に聞こえるもの、 鼻と鼻ににおうもの、 舌と舌に味わわれるもの、 身体と身体に接触されるもの、 心と心の作用、 というサーバッティでのブッダの「一切…
>78 2010年10月11日 00:24 りょーこ さん >それから・・・たけ(tk)さん >まえに、「「一切」について、自分は仏陀の答えだけでは不満です」とゆーよーなことをおっしゃていらっしゃったでしょう(?)ヘンに気になってるんですけどね…(-"-) (1) 眼と…
>> たけ(tk)さん[72] まったくその通りだと思います^^ 論理については、自分が禅寄りの立場なのであのように書きました。別ルートがあるならばそちらも知りたいですね。 > 悟りを人生の真実にできるかは別問題ですけどね。 > 悟りそのものはたいしたことで…
>思考形態を脱すると、また心身は異なった次元になると想いましてね。 それでしばらくは楽しめると思いますよ。 それに飽きて、虚無を感じるようになったら、《正念》と《正精進》に心がけるようにすればよい。「次は何をしようか」と考えるだけですけどね。…
思考形態を脱すると、また心身は異なった次元になると想いましてね。 むぅ〜(-_-)虚無も<苦>と表現され得るのですね…。 どこまでも、一切皆苦ということかな…。−−−
> 悟りそのものはたいしたことではありません。 そうでもない。たしかに、空の悟りに限れば、たいしたことはない。 しかし、空の悟りだけでは本物ではない。 空の悟りだけでは、虚無が生じる。 虚無は苦しみであり、虚無の苦しみの原因を解消しなければなら…
論理的に考えることは正しいですよ。 これは人間にとっての論理とは何かという、根本問題を考えることも含みます。 究極的な場所は論理では解きがたい。けれどそこまで進むのは論理に拠らねばならない。 人間にとっての論理性というものの本質を、自らの身を…
http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html (5)ブッダにとって「一切」とは ブッダは、サーバッティという所に滞在していたとき、「一切」とはなにか、次のように教えたと記述されています。 みなさん、わたしは「一切」について話そうと思…
覚者になりたい、のであるならば《一切》と向き合い対象化し、《一切》を《正しく見る》訓練が必要です。 そして、《一切》を正しく見ながら、自分が何をすべきなのか、自分はどうあるべきなのかを《正しく念じ》ればよいでしょう。 ゴータマ・ブッダは、何…
今宵、中秋の名月あいにくの雨模様で・・・。 >たけさん >りょーこさんは極楽気分に執着しなかったので、ほどほどの気分で「湯上がり、すっきり!」となったんですよね。 それで、よろしいんじゃないでしょうか ☆はい、いい加減でして・・・(^^)。 >快》…
35 2010年09月20日 23:52 りょーこ さま >>覚者になりたかったら >(24時間のうち意識のある間に見聞きししたモノ、思い浮かんだモノのすべてについて) >「これは苦しみである」 >「この苦しみの原因はこれである」 >「これは苦しみの原因である」 …
ありがとうございます。 >たけさん >覚者になりたかったら (24時間のうち意識のある間に見聞きししたモノ、思い浮かんだモノのすべてについて) 「これは苦しみである」 「この苦しみの原因はこれである」 「これは苦しみの原因である」 と、唱えればよ…
ゴータマ・ブッダは、 覚者になりたかったら (24時間のうち意識のある間に見聞きししたモノ、思い浮かんだモノのすべてについて) 「これは苦しみである」 「この苦しみの原因はこれである」 「これは苦しみの原因である」 と、唱えればよい。 というよう…
「中国は悪しき隣人、法治主義なし」枝野氏 (読売新聞 - 10月02日 20:02) という記事について、mixiで長ーいコメントを書いたので転載しておく。========「良き法律家は悪しき隣人」 2010年10月02日21:23「良き法律家は悪しき隣人」といわれる。法律…