尖閣諸島の領有権は「未確定」と考える理由

「中国は悪しき隣人、法治主義なし」枝野氏 (読売新聞 - 10月02日 20:02) という記事について、mixiで長ーいコメントを書いたので転載しておく。

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「良き法律家は悪しき隣人」
2010年10月02日21:23

「良き法律家は悪しき隣人」といわれる。法律家として有能な人物というのは、杓子定規だったり、人の裏をかくのに長けているなど、円満な人間関係にとっては、迷惑かつ困った存在という意味であろう。形式論理を盾にとって融通の利かない存在、隣人や友人として交際しづらい、という意味で使われる。
http://blog.livedoor.jp/kazsin/archives/372177.html

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たけ(tk)は、尖閣諸島の領有権は「未確定」であり、
中国が「抗議」するのは、国際法上の権利放棄を避けるための必要な行為をしているに過ぎない、
と考えている。

よって、「形式論理を盾にとって融通の利かない存在」という意味での「悪しき隣人」という表現は、なかなか含蓄のある表現であると、感じぜざるをえない。

== 元記事

■「中国は悪しき隣人、法治主義なし」枝野氏
(読売新聞 - 10月02日 20:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1361313&media_id=20

== 本文おわり。以下は尖閣諸島の領有権は「未確定」と考える理由 ==

日本国内での「神話」を真に受けないほうがよい。
尖閣諸島は国際的にみれば「係争地」(正式に領有権が確定していない地域)のままなのだ。

沖縄県尖閣諸島

wikipediaの英語版「http://en.wikipedia.org/wiki/Senkaku_Islands」は次のようになっている。

【原文】
The Senkaku Islands (尖閣諸島), also known as the Diaoyu Islands (釣魚台群島), or the Pinnacle Islands, are a group of disputed uninhabited islands
controlled and administered by Japan since 1895,
but also claimed by both the Republic of China (Taiwan) and the People's Republic of China as part of Taiwan Province, Toucheng Township in Yilan County since 1971.
The United States controlled the islands as part of its occupation of Okinawa from 1945 to 1972.

【翻訳】
Diaoyu群島(釣魚台群島)またはPinnacle諸島として知られているSenkaku諸島(尖閣諸島)は係争中(disputed)の無人の群島である。
1895年以来、日本によって支配され、管理されているが、
1971年から、台灣 宜蘭(Yilan)縣 頭城(Toucheng)鎮の一部として中華民国(台湾)と中華人民共和国の両国から「抗議(claim)」されている。
アメリカは1945年から1972年まで、沖縄占領の一部として支配していた。

* wikipediaの中国版「 http://zh.wikipedia.org/zh/釣魚台列嶼 」によると「台灣 宜蘭縣 頭城鎮 大溪里」。

ここで「抗議(claim)」と書かれているのは領有権に関する国際司法裁判所判例を通じて確認された法理論の要件の一つで、領有権が認められるためには占有の開始にあたって、他国から抗議がないことが要件の一つになっている。(※1)
尖閣諸島で言うと、占有の開始は1972年になる。
* 日本は1895年から実効支配している、とは残念ながら言えない。アメリカの支配が途中に入ってしまったので、実効支配の継続性という別の要件が失われている(※2)。なので、1972年が問題となる。
ところが、その前年の1971年に中国と台湾から抗議を受けているので、日本の領有権は正式には認められていない、ということ。

その抗議が単なる言いがかりであれば、国際司法裁判所に訴えれば正式に認めてもらえばよい。
しかし、日本は訴えていないので、まだ、正式には係争地の状態のままだ。

日本政府は「領土問題はない」と言っているが、これが通らないことは百も承知だろう。以前、韓国政府が竹島に「いかなる紛争もありえない」という主張をした時に、日本政府は反駁している(※3)。紛争当事国の一方が「存在しない」と言えば紛争がなくなるわけではない。当たり前の話だ。

では、日本は1895年から実効支配しているから、国際司法裁判所に訴えれば当然に認められるはずだ、という主張は通るだろうか。
しかし、日本が尖閣諸島を日本領とする閣議決定をした1895年1月14日というのは日清戦争の真っ最中だ(講和条約下関条約は3月19日)。戦争中の「先占」では「征服」と判断されてしまう可能性がある。しかも、下関条約で台湾割譲(これも「征服」に当たる)が行われているので、なおさらだ。
もちろん「征服」による領有権は、近代的な国際法では認められていない(※4)。

要するに、尖閣諸島は国際的にみれば「係争地」(正式に領有権が確定していない地域)のままなのだ。

それと・・「抗議」ってのは国際法上必要な行為なんだよね。国際法によると、相手国の主権者としての行為に適時に抗議しないと領有権を認めたことになる(※5)。したがって、日本が主権者としての行為を行使した時には、中国は自分の領有権の主張を失いたくなければ、抗議しなければならないことになる。今回の事件も「海上保安庁は8日未明、中国人船長を公務執行妨害の疑いで逮捕した」という日本の主権者としての行為に対して、「中国政府・外交部の宋濤副部長は・・抗議」したんだよね(※6)。国際法が予定している通りの対応で始まっていたわけだ。

−− 参考文献 −−

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/H20kouza.data/H20kouza-tsukamoto2.pdf
国際法から見た竹島問題

※4:「征服」による領有権は、近代的な国際法では認められていない

2.2 領土の取得方法に関する伝統的な法

領土の取得方法あるいはこの土地は自国の領土だという根拠(権原)として、従来、譲渡、征服、先占、添付、時効があるとされてきた。・・征服は、兵力により他国の領土を確定的に占領し併合する場合であるが、国連憲章下ではもはや認められない

・・・

※1:占有の開始にあたって、他国から抗議がないことが領有権の要件の一つになっている。
※2:実効支配の継続性という要件

2.3 国際判例を通じて確認された法

特定の土地(島など)がA国B国いずれの領土であるかという紛争をめぐり、国際裁判では、
「国家権能の平穏かつ継続した表示」という権原(title of peaceful and continuous displayof State authority)を基準に判定される場合が多くある。

(a)国家権能の表示というのは、例えばその土地で起きた事件を捜査し裁判する、その土地における私人の活動に対して課税、許認可を行うなど国家が主権者として振舞うことであり、
(b)平穏というのは他国の抗議を受けることなくということ、 ← ★ この「抗議」
(c)継続してというのは一回限りではなく一定の時間の経過の中でいくつか実例があるという意味である。

・・・

※5:相手国の主権者としての行為に適時に抗議しないと領有権を認めたことになる

3.1 領土取得に関する国際法の規則のまとめ 前記2.3でみた国際判例を通じて示された法をまとめると、次のとおりである。

(1) 中世の事件に依拠した間接的な推定でなく、対象となる土地に直接関係のある証拠を。中世の権原は今日的な他の権原に置き換えられる必要がある。

(2) 徴税・課税、法令の適用、刑事裁判、登記、税関設置、人口調査、亀・亀卵採捕の規制、鳥の保護区設定、入域管理、難破事件の捜査などが、国家権能の表示・実効的占有の証拠とされた。

(3) 紛争が発生した後の行為は実効的占有の証拠とならない。自己の法的立場を改善する意図に出たものでなく従来継続しているものは証拠として考慮されることがある。

(4) 住民による農漁業のための利用は国家の主権者としての行為ではない。

(5) 条約上の根拠がある場合にはそれが実効的占有に基づく主張に優越する。

(6) 国は、相手国に向かって行った発言と異なる主張はできない。

(7) 相手国の主権者としての行為に適時に抗議しないと領有権を認めたことになる。 ← ★ 中国はこれを防ぐために「抗議」をやっている。

(8) 歴史的、原初的権原があっても相手国が行政権行使を重ね、相手国の主権者としての行動に適時に抗議しなければ主権が移ることがある。

(9) ある主張が証拠不十分で退けられても反対の主張が当然に是認されるわけではない。

(10) 発見は未完の権原である(実効的占有が行われなければ領有権の根拠にならない)。

(11) 地理的近接性は領有根拠にならない。領海内の無人島が付属とされることはある。

(12) 地図は国際法上独自の法的効力を与えられることはない。公文書付属地図が法的効力を持つ場合や信頼に足る他の証拠が不足するときに一定の証拠価値を持つ場合はある。

・・・

※3:紛争当事国の一方が「存在しない」と言えば紛争がなくなるわけではない

竹島(独島)が韓国領土であるから「いかなる紛争もありえない」という主張は、韓国としては竹島を実力により支配している現状を肯定したいということかもしれない。しかし、紛争の存否は、客観的に判定されるものであり、紛争当事国の一方が「存在しない」と言えば紛争がなくなるわけではない。かつて、外務省は、ICJの「連合国とブルガリアハンガリー及びルーマニアとの平和諸条約の解釈に関する勧告的意見」(1950)及び常設国際司法裁判所の二件の判決――「マヴロマチス事件」(ギリシャ対イギリス1924)、「上部シレジアのドイツ人の利益に関する事件」(ドイツ対ポーランド1925)――を引用してこのことを明らかにする資料を作成配布したことがある4。最近のICJ判決でも、「カメルーンとナイジェリアとの間の陸地及び海の境界に関する事件」の先決的抗弁に関する判決(1998.6.11,先決的抗弁5)で、国際紛争の存否は客観的に判断されるべきことが再確認されている。

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※6:今回の事件も「相手国の主権者としての行為に適時に抗議しないと領有権を認めたことになる」ので・・中国は「抗議」した。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1334918&media_id=97

尖閣:中国政府「違法行為は日本側」―漁船の船長逮捕で
サーチナ - 09月08日 08:54)

 沖縄県尖閣諸島海域で7日午前、中国のトロール漁船が日本の巡視船に“接触”した事件で、海上保安庁は8日未明、中国人船長を公務執行妨害の疑いで逮捕した。中国政府・外交部の宋濤副部長は7日に、日本の丹羽宇一郎特命全権大使を呼び、「日本は、中国の漁船に対する違法な妨害活動をやめよ」と抗議。姜瑜報道官も同日の定例記者会見で、「釣魚島と周辺の島(尖閣諸島の中国側呼称)は古来、中国の領土」、「日本に公務執行の権利はない」などと主張した。

 船名・番号から、中国の漁船は福建省の船籍と考えられる。尖閣諸島周辺の日本領海内で操業し、停船を命じた巡視船「よなくに」に接触して逃走、追跡した「みずき」にも接触した。海上保安庁は、中国人船長を「漁船を故意に、巡視船にぶつけた」との疑いで逮捕した。両巡視船は船体がへこむなどの損傷を受けたが、双方に負傷者はなかった。

 巡視船は漁船をはさみこむ形で停船させ、同漁船に乗り込み検査。さらに妨害した船長を公務執行妨害の疑いで逮捕した。船長を乗せた海上保安庁の巡視船は8日朝、石垣島に着いた。海上保安庁は中国人船長を漁業法違反(立ち入り検査忌避)の疑いでも、取り調べる方針だ。

 中国新聞社によると、中国政府・外交部の宋濤副部長は丹羽宇一郎特命全権大使に「厳しい姿勢」で、日本が「違法行為」をやめるよう求めた。姜報道官も日本を非難し、「中国側は事態の発展に強い関心を持っており、さらに一歩行動する権利を保留する」と述べた。

  中国新聞社は日本の高官の「最寄の検察機関または警察機構に連行して、日本のシステムにもとづき、処理する」との談話を紹介した。(編集担当:如月隼人)

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soreikedon
2010年10月02日 22:01

>尖閣諸島で言うと、占有の開始は1972年になる。
>* 日本は1895年から実効支配している、とは残念ながら言えない。アメリカの支配が途中に入ってしまったので、実効支配の継続性という別の要件が失われている(※2)。なので、1972年が問題となる。
>ところが、その前年の1971年に中国と台湾から抗議を受けているので、日本の領有権は正式には認められていない、ということ。

間違ってますね。 アメリカが統治した期間があるのはもちろん事実ですが、その期間でさえ、日本の潜在的な主権が認められています。 解釈で言えば、実効支配する担当部門が沖縄県から一時的にアメリカになったということでしょう。 少なくとも、尖閣について実効支配したことが一度もない中国・台湾に領土権を主張する資格は全くありません。

>では、日本は1895年から実効支配しているから、国際司法裁判所に訴えれば当然に認められるはずだ、という主張は通るだろうか。
>しかし、日本が尖閣諸島を日本領とする閣議決定をした1895年1月14日というのは日清戦争の真っ最中だ(講和条約下関条約は3月19日)。戦争中の「先占」では「征服」と判断されてしまう可能性がある。しかも、下関条約で台湾割譲(これも「征服」に当たる)が行われているので、なおさらだ。
>もちろん「征服」による領有権は、近代的な国際法では認められていない(※4)。

これも認識不足ですね。尖閣編入については、1895年以前に10年以上の歳月をかけて調査しています。 もちろん、日清戦争の前からの話で、漁民による実効支配も明らかです。 編入後も1971年まで中国からのクレームは全くありませんでした。この点でも中国に尖閣の領有権を主張する権利はありません。しかも、ご丁寧に中国人遭難者を救助した尖閣住民に、沖縄県人として宛てた礼状を出していますね。

ただ、ご指摘の内容で一つだけ正しいことがあって、それは「尖閣に領土問題は存在しない」とバカの一つ覚えを唱えるだけでは、問題は全く解決しないということです。 政治による国際社会への積極的なアピールを期待したいところです。



たけ(tk)
2010年10月03日 00:22
soreikedon さま

長々した文章を読んでいただき、ありがとうございます。

ご指摘の点につき、下記のように反論をしておきたいと思います。

アメリカが統治した期間があるのはもちろん事実ですが、その期間でさえ、日本の潜在的な主権が認められています。

アメリカは「尖閣諸島の領有権問題には介入しない方針」です(※1)。アメリカはその統治や返還にあたって「日本の潜在的な主権」を認めていた訳ではありません。
((争いがあるので、日本にも可能性がある、中国にも可能性がある、という意味での「潜在的な主権」であれば、認めていたとは言えますが・・))。

>実効支配する担当部門が沖縄県から一時的にアメリカになったということでしょう

アメリカは日本政府の下部機関ではありません。《日本が》実効支配していたとは言えません。

尖閣編入については、1895年以前に10年以上の歳月をかけて調査しています。

発見や調査や漁民による利用では実効支配(「国家権能の平穏かつ継続した表示」)には該当しません。

尖閣について実効支配したことが一度もない中国・台湾に領土権を主張する資格は全くありません

近代国家による国際法上の実効支配にあたるものがなかったのは確かでしょう。

しかし、「近代国家による国際法上の実効支配にあたるものがなかった」からといって領有権の主張ができなくなる訳ではありません。歴史的な、原初的な権原も(他の競合する主張がない限り)国際法上当然に認められます。(※2)

それゆえに、中国は明代の航海記録とかをもちだして、「釣魚島などの島嶼は昔から中国の領土である。はやくも明代に、これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域のなかに含まれており」などと主張しているわけです(※3)。((それが通るかどうかは別の話です))。

これを、たとえて言うなら、小笠原諸島につき、1827年にイギリスが旗を立てて領有を宣言し、1857年にアメリカはハワイからの移民を首長に任命するといった主権の行使をしていますが、もし仮に、それと同時に日英戦争もしくは日米戦争があって、伊豆大島とか、八丈島を割譲してしまったので、その先にある小笠原の領有権につきイギリス/アメリカに抗議できない事態になってしまっていたとしたら、どうなるか、という感じでしょうか。(※4)

編入後も1971年まで中国からのクレームは全くありませんでした。

占有の開始の原因が軍事力を背景にした「占領」であれば、被占領国(割譲国)が支配国に「抗議」することは期待できません。

第二次世界対戦後のアメリカの支配も、中国からみれば強大な軍事力を背景としています。中国に対する軍事力の行使ではありませんが、強大な軍事力をもった「解放者」に対する「抗議」は期待できないでしょう。

軍事力を背景にした「占領」や「解放者による占有」に対して「抗議」がなかったのは確かですが、それが国際法上、占有国の「国家権能の平穏かつ継続した表示」に対して「抗議」しかなったという理由による「領有権放棄」と評価されるとは考えにくいです。

>中国に尖閣の領有権を主張する権利はありません。

もし、クレームの資格がない、という主張が当然のものであるなら、国際司法裁判所で勝つことができるでしょう。それが一番簡単な解決法です。
国際司法裁判所で勝った後であれば、日本は正々堂々と中国に抗議すればよい。
もし、中国が国際司法裁判所による裁判を拒否すれば、その拒否を国際社会に訴えて自己の正当性を強くアピールすることができます。

>ただ、ご指摘の内容で一つだけ正しいことがあって、それは「尖閣に領土問題は存在しない」とバカの一つ覚えを唱えるだけでは、問題は全く解決しないということです。 政治による国際社会への積極的なアピールを期待したいところです。

その通りだと思います。

−−−参考文献−−−

※1:アメリカは「尖閣諸島の領有権問題には介入しない方針」です

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1352872&media_id=4
船長釈放は「正しい決定」=日中の緊張緩和に期待―米
時事通信社 - 09月25日 07:02)

 【ニューヨーク時事】クローリー米国務次官補(広報担当)は24日、記者団に対し・・ 米政府は、尖閣諸島の領有権問題には介入しない方針だが・・

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※2:歴史的な、原初的な権原も(他の競合する主張がない限り)国際法上当然に認められます。

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/H20kouza.data/H20kouza-tsukamoto2.pdf
国際法から見た竹島問題

例えば日本にとって本州、九州、四国が日本の領土であることの根拠は何かというような問いを設けるとすれば、それは結局、昔から日本の領域であった、あるいは、はじめから日本の領土であった(これらの土地に日本という国が誕生した)ということであろう。これは国際法が日本に適用される以前あるいは国際法が生まれる以前からの話であり、上記の領土取得方法のいずれかによって取得したわけではない。しかし、そのような歴史的な、原初的な権原も(他の競合する主張がない限り)国際法上当然に認められる。

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※3:「釣魚島などの島嶼は昔から中国の領土である。はやくも明代に、これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域のなかに含まれており」と主張しているわけです。

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPCH/19711230.O1J.html

データベース『世界と日本』
日本政治・国際関係データベース
東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室

[文書名] 尖閣列島に関する中国外交部声明
[場所]
[年月日] 1971年12月30日
[出典] 日本外交主要文書・年表(3),521−522頁.北京周報,10巻1号,13頁.
[全文]

 日本佐藤政府は近年らい、歴史の事実と中国人民の激しい反対を無視して、中国の領土釣魚島などの島嶼(しょ)にたいして「主権をもっている」と一再ならず主張するとともに、アメリカ帝国主義と結託してこれらの島嶼を侵略・併呑するさまざまな活動をおこなってきた。このほど、米日両国の国会は沖縄「返還」協定を採決した。この協定のなかで、米日両国政府は公然と釣魚島などの島嶼をその「返還区域」に組み入れている。これは、中国の領土と主権にたいするおおっぴらな侵犯である。これは中国人民の絶対に容認できないものである。

・・・

 釣魚島などの島嶼は昔から中国の領土である。はやくも明代に、これらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域のなかに含まれており、それは琉球、つまりいまの沖縄に属するものではなくて、中国の台湾の付属島嶼であった。中国と琉球とのこの地区における境界線は、赤尾嶼と久米島とのあいだにある。中国の台湾の漁民は従来から釣魚島などの島嶼で生産活動にたずさわってきた。日本政府は中日甲午戦争を通じて、これらの島嶼をかすめとり、さらに当時の清朝政府に圧力をかけて一八九五年四月、「台湾とそのすべての付属島嶼」および澎湖列島の割譲という不平等条約−「馬関条約」に調印させた。こんにち、佐藤政府はなんと、かつて中国の領土を略奪した日本侵略者の侵略行動を、釣魚島などの島嶼にたいして「主権をもっている」ことの根拠にしているが、これは、まったくむきだしの強盗の論理である。

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPCH/19720520.O1J.html

データベース『世界と日本』
日本政治・国際関係データベース
東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室

[文書名] 尖閣諸島の領有権に関する中華人民共和国国連常駐代表のワルトハイム国連事務総長及びブッシュ国連安保理事会担当議長に対する書簡
[場所]
[年月日] 1972年5月20日
[出典] 日中関係基本資料集、407頁.
[備考]
[全文]

 黄華中華人民共和国国連常駐代表は五月二十日、クルト・ワルトハイム国連事務総長およびジョージ・ブッシュ国連安保理事会五月担当議長に書簡をおくった。書簡の内容はつぎのとおり。

 「わたしは、安保理事会が一九七二年五月十一日に配布した、アメリカ代表ジョージ・ブッシュ氏の五月十日事務総長におくった書簡をうけとった。わたしは命を奉じて、つぎのとおり声明する」。

 「日本人民は沖縄の復帰をめざして長期の闘争をおしすすめ、アメリカ政府が沖縄の『施政権』を日本に返還せざるをえないようにさせた。ところが、佐藤政府は、アメリカが沖縄にひきつづき多くの軍事基地と軍事施設を保留するのを許している。これは沖縄の無条件全面返還を要求する日本人民の願いにそむくものである。とくに指摘しておかなければならないのは、米日両国政府が一九七一年六月十七日の、琉球諸島および大東諸島に関する協定のなかで、中国の領土釣魚島などの島しょを公然と「返還区域」にくみいれたことである。これは中華人民共和国の領土・主権を侵犯する重大な行動である。釣魚島などの島しょは昔から中国の領土であり、米日両国政府があろうことか中国の領土をひそかにやりとりしたのはまったく不法なものであり、無効のものであって、中国政府と中国人民は絶対にこれを承認しない」。

 「わたしはこの文書を安保理事会の正式文書として配布することを要求する」。

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※4:たとえて言うなら、1827年にイギリスが小笠原諸島に旗を立てて領有を宣言し・・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/小笠原諸島

1543年 - スペイン人によって母島が発見されたと見られる[5]。 ← 発見?。

1593年 - 信濃小笠原氏で信濃国深志城城主の小笠原貞頼が発見したという説があるが、貞頼という人物の実在自体が現在では否定されている。
1670年 - 紀州の蜜柑船が母島に漂着し八丈島経由で伊豆下田に生還、島の存在が下田奉行所経由で幕府に報告された。現在ではこの報告例が最初の発見報告と考えられている。 ← 発見。
1675年(延宝3年) - 江戸幕府が漂流民の報告を元に調査船富国寿丸を派遣し島々の調査を行い「此島大日本之内也」という碑を設置する。当時は無人島(ブニンジマ)と呼ばれた。調査結果は将軍はじめ幕府上層部に披露された[6]。
1727年 - 貞頼の子孫と称する浪人者の小笠原貞任が貞頼の探検事実の確認と島の領有権を求めて幕府に訴え出る。小笠原島と呼ばれるのはこれ以降のことである。最終的に貞任の訴えは却下され探検の事実どころか先祖である貞頼の実在も否定された。このため、貞任は1735年に詐欺の罪に問われ、財産没収の上、重追放の処分を受けた。

19世紀になると欧米の捕鯨船が寄港するようになり、1827年にイギリスが領有を宣言。 ← ★イギリスによる領土宣言。
1830年天保元年) - ラセニエル・セボレーら白人5人とハワイ人25人がハワイ・オアフ島から父島(奥村)に入植し、初めての移住民となる(欧米系島民も参照)。
1847年 - ジョン万次郎が米捕鯨船に乗って小笠原に来航。後年、今度は日本側官吏として小笠原にやってくることになる。
1853年(嘉永6年) - アメリ東インド隊司令官ペリーが日本へ行く途中、沖縄を経て父島二見港に寄港。島民のために牛、羊、山羊や野菜の種子を与え、石炭補給所用の敷地を購入。
1857年(安政4年) - モットレー一家が母島(沖村)に居住。
1857年(安政4年) - ペリーが寄港してハワイからの移民を首長に任命した。 ← ★ アメリカによる実効支配(主権の行使)。

1861年文久元年) - 幕府が小笠原貞任の虚言を利用する形で小笠原の領有を宣言。それに先立ち幕府は外国奉行水野忠徳らに命じアメリカから帰還したばかりの咸臨丸(艦長は小野友五郎)で小笠原に佐々倉桐太郎ら官吏を派遣し、測量を行う。また、居住者に日本領土であること、先住者を保護することを呼びかけ同意を得る。のち八丈島から移民を送った。← ★クレーム?
1862年文久2年) - 八丈島から38名の入植者が父島へ移住。
1862年文久2年) - 幕府の外国奉行、水野忠徳一行が小笠原諸島を巡視し、その際の小笠原島視察復命書に「島々の配置は、南北に連なり、あたかも家族のように並んでいるので、中央を父島群島、南を母島群島とし、北を聟島群島とする。」と記載し、これが父島、母島、聟島の由来にもなった。
1866年(慶応2年) - フレデリック・ロース、母島(沖村)に居住。
1876年(明治9年)3月 - 小笠原島の日本統治を各国に通告。(日本の領有が確定。)小笠原諸島内務省の管轄となる。日本人37名が父島に定住。内務省出張所設置。 ← ★正式なクレーム。日本による実効支配。