44 2010年09月23日 00:59 りょーこさん
今宵、中秋の名月あいにくの雨模様で・・・。
>たけさん
>りょーこさんは極楽気分に執着しなかったので、ほどほどの気分で「湯上がり、すっきり!」となったんですよね。 それで、よろしいんじゃないでしょうか
☆はい、いい加減でして・・・(^^)。
>快》が生じる原因は身体とお湯との接触や感覚や身体的な変化であることが分かる。《快》によって《苦》が生じる可能性があることも分かる。
その本質が身体的なモノであって《我》にあらざるモノであること、等も分かる。 そのようなことを分かったうえで、「お風呂は極楽」という《快》が生じることを楽しめばよろしいのだと思います。 正見(正しい認識)のもとで正命(正しい生活)をするのが、よろしいのだそうです。
☆「お風呂快分析」ありがとうございます。先ほども、お風呂に入ってきたのですが、なんか身体的なことばかりでなくて、心も全体的にリラックスしてるってカンジです。よく考えてみると、ぼぉ〜(-_-)としていて「我」はないのかな。無意識に戻ってしまってるか・・・。
「ブッタの言葉」ありがとうございます。私も、この本は持っているのですが、なかなか、その時の自分にをもたらすような言葉には出合えないものです。
>「沐浴をすませた者」・・・
☆お風呂あがりでも、おっしゃるような胸をうつ「覚者感覚」には程遠いですが、ええ加減、ということで(-"-)。
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