85 2010年10月11日 20:00 たけ(tk)

>78 2010年10月11日 00:24 りょーこ さん
>ん〜私の感知する「虚無」は、絶望すらに見放された底なしの混沌といったものです。もし底があるならば、もう反転して<光>になるしかないといった。やはり瞑想(観照)でなければ「一切皆苦」はなくならない気がしますが…。

昔よくやった思考実験を紹介しておきます。

『「虚無」は、絶望すらに見放された底なしの混沌といったものです』・・。そういうのを見つけたら、飛び込んでしまいましょう。

(A)
真っ暗な闇の中で浮かんでいるだけなので気持ちがよいですよ。「底なし」なので、底にぶつかってケガすることもありません。
気がつくと足元に地面ができているでしょう。動き回れるようになります。しかし、歩き回っても真っ暗で何もありません。
帰れないのではないかと心配してもよいですが、そこで疲れて一眠りすれば、元の日常の現実に戻ります。大丈夫です。

(B)
自力で戻りたいのであれば「無限に繰り返す」という呪文を覚えておきましょう。

無限遠点」というのをご存じでしょうか。写生で道路を描く時などに、遠近法で平行線を八の字型に描きますよね。その「八の字型の平行線」の延長にある交点のことを「無限遠点」と言います。「無限遠点」は目に見えるものです。街に出て、長い直線道路や、高いビルを捜して、「無限遠点」が眼に見えるモノであることを確認してみてください。「八の字型の平行線」の延長にある交点である無限遠点の「その先」も見えますよね。

「自分からの距離」Mメートルを「1/N」メートルで表すと、最初の自分の場所はM=0メートルではN=∞。自分から離れるに従ってNはプラスでだんだん小さくなる。無限の遠くはN=ゼロになる。
でもプラス→ゼロ→マイナスは連続して繋がっているので、N=0の「無限の遠く」の先にはN=マイナスとなる。そのような、無限の距離の「その先」がある。「その先」に突き破って行くことができる。

虚無の暗闇は無限に広いのでしょうが、「その先」まで行けばよいのです。「まっすぐ前に行く」を「無限に繰り返す」と唱えていると、虚無の暗闇の無限遠点を超えて、いつの間にか元の日常の現実感覚に戻っています。
ただし、場合によっては「無限に繰り返して、無限遠点を突き破る、を無限に繰り返す」と唱える必要があることもあります。

思うに、虚無の暗闇というのは、身体内部の感覚なんですよね。身体内部の感覚が無限に続いているように感じられる。でも、その無限遠点を超えてしまえば、身体の外部=日常の現実感覚=に戻るのだと思います。

>もう反転して<光>になるしかない

途中で<光>が見えるような気分にもなりることもありましたが、<光>は残念ながら幻でした。<光>の空間を突き抜けてしまうと、別の空間に至ります。で、最終的には平凡な日常感覚に戻ってしまう、というオチでした。

>やはり瞑想(観照)でなければ「一切皆苦」はなくならない気がしますが…。

それはそうです。《正見》と《正念》だけではなく、《正しい禅定》=《正定》は不可欠です。

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