ゴータマ・ブッダの情報処理マシン

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54 2010年05月03日 16:21 たけ(tk)

>要は、人間や動物、全てのモノに魂があるという考えで
>それってヒンドゥー教神道とかのアニミズムの考えで
>仏教は本来そのへんを全部否定してんだよねたぶん

ゴータマ・ブッダは「否定」しているわけではない。そんなのウソだから、ウソを信じて真面目に悩むより、毒矢を抜く方が先だろう、と言っているだけだ。

たけ(tk)は「死んだご先祖様が自分を見守っていてくれる」と思うようにしているよ。ゴータマ・ブッダは死んだけど、たけ(tk)の心の中に生きているよ。死んだご先祖様たちも、たけ(tk)の心の中に生きているよ。死んだ友人たちも、たけ(tk)の心の中に生きているよ。だから、たけ(tk)が死んでも、たけ(tk)の心は、たけ(tk)を知っているヒトたちの心の中に生きているに違いない、と思っているよ。

なぜ、ゴータマ・ブッダは、そのように言わなかったのか。それは・・たけ(tk)が「ご先祖様」を信じるようにしている、というのは、ウソだけど信じる、ということなのだよね。深く考えたら、矛盾だらけになるだろう。それにこだわるよりも、毒矢を抜く方が先だろう、ということなのだよね。

ゴータマ・ブッダが言っていることのほうが正しい。ゴータマ・ブッダのは根本療法(手術)、俗信は対症療法(鎮痛剤)。

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55 2010年05月03日 17:47 blanky9you

まあ、霊魂を否定しきってるわけではないね。
そのへんは有るのか無いのかは考えてもわからんし、考えついた所で明確に証明すんのは難しい。

「心の中で生き続ける」というのは正しいな。
人は死んでも、その人の生きたという事が様々な事に影響を及ぼして、それは形が変わったりしながらでもいつまでも残るんだ。

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56 2010年05月04日 15:01 たけ(tk)

ゴータマ・ブッダは、我々が「霊魂」とか「心」と呼んでいるモノを、次のような「認知(インプット)→情報変換→言・動(アウトプット)の循環」で捉えていたと思います。

(1)外界(名色)と身体の感覚器官(六処)とが接触し(触)、身体の内部に外界の諸々のモノへの認知、それらのモノの意味、原初的な感情が生じる(受、知覚心象)。
(2)それらの認知はいったん記憶に保存され、再生されることにより諸々の心の作用が生じる(愛、取)。思い込みや思い描き(想、記憶心象)、身体を動かす自覚的意志や無自覚的な衝動が生じる。
(3)心の作用で生じた自覚的な意志や無自覚的な衝動によって、コトバを発し、身体が動く(有、生→行。言動)。
(4)私の言・動は、他者(識)にとっての外界(名・色)となる。私の言・動は、私自身(識)にとっても外界(名・色)の一部となる。(1)に戻る。

これらの心の作用の循環は在る。しかし、それは身体的な因果関係にすぎない。身体的な現象に過ぎない心の作用の循環を『それが私である』『それが私の心だ、魂だ』と思い込み、執着すると、それが消滅する(死ぬ)ことへの恐怖が生じる。
これを克服するためには、この身体の中で現象する心の作用を、あるがままの現象として、正しく観察し、因果関係を知ること(無明を明知にすること)が重要だとゴータマは言っている。

そして、そのように《正しく観察しつつあるモノ》を身体の中に発見しておくことも重要だろう。
『一切』(http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/muga_2.html)を《正しく観察し、正しく考え、正しく語り、正しく行動し、正しく生活しつつあるモノ、正しく努力し、正しく念じ、正しく定まりつつあるモノ》を、自分の身体の中に発見することが重要だろう。そのように準備したうえで、頓悟すればそれが本当の自分(真我)であると自覚するようになる。
(ただし、これは後代のヒトたちの言う「仏性」。これに関してはゴータマ・ブッダは明言していないと思う。仏性・真我といえども身体的な作用に過ぎず、永遠不変なモノであると誤解してはならないからだ)。

とはいえ、《正しく観察し・・正しく禅定しつつあるモノ》(真我)といえども、身体内部の現象に過ぎず、身体とともに滅びる点では、通常の心の作用と同じである。
また同時に、真我であろうと俗我であろうと、他者の心に影響を与え、死後も他者の心の中に生き続ける、という点でも同じである。

* ちなみに、「死後も他者の心の中に生き続けるブッダ」(法身)が神格化されると無量寿仏になる。

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* 六処(眼耳鼻舌身意)の「意」はミラーニューロンという神経機能に対応するように思われる。ミラーニューロンは他者への共感作用や言語作用を司る脳の神経細胞のネットワーク。ミラーニューロンの作用の結果が、他の5感からの情報と同様に、身体的な所与の情報として意識に与えられるということに注目しているのだと思う。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%B3

* 我々の目の前に広がる3次元の空間は、実際には身体の感覚器官(網膜や鼓膜)が取得した情報を身体(脳)が「再構成」して我々の意識に提示しているモノらしい。

* 我々の「意志」も、実は身体的な動きの追認であったらしい(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%84%8F%E5%BF%97 :Libet は、被験者の脳の活動が、意識的に動作を決定するおおよそ1/3秒前に開始したことを発見した。これは、実際の決定がまず潜在意識でなされており、それから意識的決定へと翻訳されていることを暗示している)。