アンパンマンは日本的行者である。
311の後でアンパンマンのマーチが話題になり、聞いてみたら、感動してしまった。なぜなのか?
アンパンマンのマーチ 作詞 やなせたかし 作曲 三木たかし そうだ!嬉しいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも 何の為に生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ! 今を生きることで 熱いこころ燃える だから君は行くんだ微笑んで。 そうだ!嬉しいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも。 嗚呼アンパンマン優しい君は 行け!皆の夢守る為
* 「そうだ!」の前の状態が問題なのである。《私》は、生きる喜びが分からなかったのである。胸の傷が痛んでいたのである。何の為に生まれたのか分からなかったのである。何をして生きるのがよいのかが分からなかったのである。
* 《私》は、「今を生きる」が、その答えである気とがついたのであろう。「今を生きる」ことが「生きる喜び」であり「嬉しさ」なのだと気がついたのである。
* 気づきは悟りである。ただし、小悟かもしれない。小さな悟りかもしれない。大悟(一切の疑問が一時に解決するような悟り)ではないかもしれない。しかし、大悟の大筋をたどっているのかもしれない。十牛図を見てみよう。
* 十牛図 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%89%9B%E5%9B%B3
(8)人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう) - すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
(9)返本還源(へんぽんげんげん) - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
(10)入[廛+郡-君]垂手(にってんすいしゅ) - まちへ... 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。
* 「答えられないなんて そんなのは嫌だ!」が「本来の自然な姿」なのである。
* 「そうだ!(人々は)嬉しいんだ。生きる喜び(があるから人々は生きているんだ)」「今を生きることで 熱いこころ燃える」。これが人々の「本来の自然な姿」なのであり、人々の「原初の自然の美しさ」なのである。
* 「だから君は行くんだ微笑んで。」「嗚呼アンパンマン優しい君は。行け!皆の夢守る為」。「修行者が街へ出て、別の童子と遊ぶ」「人を導く」のである。
何が君の幸せ 何をして喜ぶ 解らないまま終わる そんなのは嫌だ! 忘れないで夢を 零さないで涙 だから君は飛ぶんだ何処までも そうだ!恐れないでみんなの為に 愛と勇気だけが友達さ 嗚呼アンパンマン優しい君は 行け!皆の夢守る為
* 「愛と勇気だけが友達さ」。このフレーズが物議を呼んでいるようである。人である友達はいないのか? 当たり前である。修行者や覚者は人である友達を持たないのである。
時は早く過ぎる 光る星は消える だから君は行くんだ微笑んで そうだ!嬉しいんだ生きる喜び たとえどんな敵が相手でも 嗚呼アンパンマン優しい君は 行け!皆の夢守る為
* 「時は早く過ぎる 光る星は消える。《だから》君は行くんだ」。諸行無常の悟りの先に、アンパンマンは居るのである。
アンパンマンのイメージは、仏教的、禅的な行者のイメージに重なっている。
文化的に、日本人は行者のイメージになじんでいるのである。日本的行者のイメージは寺にこもるイメージではない。コトバを語るだけの人のイメージではない。橋を作り、堤防を作り、ボランティア活動をする人のイメージであり、無欲で企業を運営する人が日本的な行者のイメージなのである。
その文化的なベースがあったがゆえに、やなせたかしはアンパンマンのイメージを膨らませることができた。そして、やなせが作ったアンパンマンのイメージを日本人はすんなりと受け入れられたのである。
(他の解釈)
http://bokuashi.exblog.jp/8028584/
アンパンマンの歌詞が異様に深い
http://d.hatena.ne.jp/f_iryo1/20081028/1225205632
「アンパンマンのマーチ」から戦争を想起することは「正しい」のか